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2020.12.10

20年越しの高野山

高野山へ空海に会う旅 整体師、チャクラ調整師、チベット体操講師の気づき

20年越しの高野山

真言宗の開祖である「空海(弘法大師)」に興味を持ったのは、いつだったか忘れましたが、その文字の印象と音の響きが気になっていました。

その後、空海と高野山への興味が湧いたのが20年前。無宗教で無知だった私は、空海と「真言密教」「般若心経」「風信帖」が繋がっているとも知らず、それぞれに興味を抱いていました。

私が自分の根本的な考えに気が付いたのは20代。エマソンの「自己信頼」に共感した時でした。その後でも同じように共感したものが、「チベット曼荼羅」でした。この曼荼羅に興味を持ったことが、その後の高野山にある曼荼羅に繋がったのです。

「般若心経」は、深川不動尊で写経した時に共感しました。般若心境には、エマソンの「自己信頼」で感じたことと同じことが書かれていました。

そんな色んな出会いを経て、「空海」「高野山」に行きたいという思いを募らせてきました。

そして、2020年。「ようやく空海に呼ばれた」と思って、高野山に行くことが出来ました。

高野山が晴れる

高野山へ向かう当日の天候は雨。しかし、高野山の大門に近づくにつれて晴れてきました。

空には所どころに雲があり、穏やかな風と日差しが「私を迎えてくれている」という嬉しい気分を盛り上げてくれました。

ワクワクが止まらず、車の中で龍ワークをしました。そして「会いに行きます」って唱えてしまいました。そうしたら、ワクワクだけでなく安心感に包まれていき、お堂に居るような感覚や音が聴こえてきて「待ってましたよ」と迎えられたように感じました。

「南無大師遍照金剛」

大門を通り抜けて、奥の院へ向かう道へいくと道の両側に石塔があって、その一つに「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と書かれていました。

これは、‘弘法大師空海に帰依する’という意味だそうです。「遍照金剛」という名前は空海が、唐へ行き、真言宗密教の修行を勤しんでいるときにつけられた、‘灌頂(かんじょう)名’とのこと。

この石塔のところで、これを唱えて入りました。

お墓ではなく供養塔ばかり

高野山のガイドの説明では、こちらにあるのはお墓ではなく供養碑や供養塔ばかりなのだそうです。つまり、納骨されていないということです。形はお墓のようなので、供養墓?て感じです。(新しいところはお墓として使われているそうです)

有名企業がいくつも並び、有名な武将や皇室の方たちのもありました。また、たくさんの宗派の供養塔もあり、「宗派が違うのになぜ?」と思ったら、空海は宗派を問わず、仏教の源は同じという考え方なのだそうです。

また、ここは仏様を祭っているのではなく霊を祭っているので、多くの杉の木を「御霊木」と呼ぶそうです。

奥の院への橋を渡る

奥の院に近づくと、頭と肩が重くなってきました。

更に進むと橋がでてきて、「ここからは写真撮影できません。帽子もとって渡ってください」と言われました。

「南無大師遍照金剛」と唱えながら橋を渡っていたら、頭や肩の重さを忘れてしまいました。

灯篭がともり、空海に会う

橋を渡った先に見えたのは「灯篭堂」

お堂の正面にも脇にも奥にも灯篭が見えます。正面には1000年近く燃え続けている2つの「消えずの火」がありました。

初めて見るたくさんの灯篭に圧倒されながら、「南無大師遍照金剛」と唱えて、その後ろにある「弘法大師御廟」へ向かいました。

御廟の前に立ち、手を合わせて拝み、祈願しました。弘法大師は即身仏となり、御廟に今も座して、現世の人々の願いを聞いてくれるのだそうです。

お守り「身代御守」持って、もう一度

最後に、「身代御守」を買って、これまでの道のりを思い返しました。

なんか、物足りない気がしました。

「これは、もう一度、高野山の宿坊に泊まって修行体験しなさいってことだわ」

20年越しの高野山への思いがたった数時間で満足するはずがなかったのです。お守りを持って、改めて高野山に、空海に会いに来たいと思います。

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